最後に番外編として、学ぶ行動を始める原点となる動機(モチベーション)についてちょっと説明しておこうと思います。

よろずは10代の頃からずっと、学ぶ動機について悩んできました。20代の頃は、何も考えずに一心不乱に勉強していた時期もあれば、突然やる気がなくなって何もできなくなる時期もありました。大学時代は自分の精神的不安定さの原因がわからなかったため、随分つらかった記憶があります。

サイトのヘッダー部分に、
「学ぶことは生きること」
「考えることは学びの分別をつけること」

と書きましたが、そもそもどうやって学ぶ動機を養えば良いのでしょうか?

夏に帽子学ぶことは生きることだと教えてくれたのは、赤ん坊です。赤ん坊は生まれた時から学ぶことに貪欲ですし、なぜ知りたいのか、なぜ生きるのかなど考えずに周囲のあらゆるのものを学ぼうとします。

大人になるにつれて、社会や家族、個人的なことなどいろいろ考えることも増えてきますが、赤ん坊のような無為で知識に別を付けない学ぶ姿勢は見習いたいと感じます。そもそも、誰にでも赤ん坊の時期はあったわけですから、学ぼうとする意志や能力は誰にでも本来備わっているはずです。

しかし、学ぶことそのものに善も悪もありません。大人なら子供と違い何を学ぶのかの別を付ける分別も当然必要だと考えます。

文学や哲学などの本は、自分を見直すためにも良いきっかけを作ってくれました。多分、学生の頃に国語や現代文の授業でしか読んだことのない人もいるでしょうが、大人になってから読むとまた別の発見があるかもしれません。

それでは、最初の疑問に戻ります。

問:どうやって学ぶ動機を養えばいいのか?

よろずの答え:
下記のプロセスを経ること
1.動機を持つためにはまず自分を知ること
2.自分を知るためには学ぶこと
3.学んだ後は考えること
4.考えた後は学びの分別を付けること
5.自分を知り、学びの分別を付けることで動機が生まれる(かも?)

こんな感じで考えたんですが、どうですかね?子供の頃から何をすべきかわかっている人(例えば、スポーツ選手のタマゴ)や、理由がなくてもやる気が出てくる人には意味ないプロセスですが、私のような理屈やにはなんらかの過程を経ないと、自分自身を心から納得させるだけのやる気が生まれてこないような気がします。

学ぶ動機を養うのに、自分を知るために学べというのは矛盾していますが、多分自分を知りたいという動機が初めに必要なんだと思います。自分に全く興味がない人はほとんどいないと思うので、時間が経てば自然と知る欲求も湧き出てくると思います。

悩みに対する答えを出すにはある程度の時間は必要でしょう。ぶどうからワインになるためには、発酵のプロセスが必要です。発酵させるためには、知識、材料、環境、そして時間のすべての条件が適切に揃っている必要があります。失敗すれば、酢になります。人も同じような気がします。別に酢が悪いと言っているわけじゃなく、ワインを作ろうとしているのに酢ができるのはよろしくないという意味です。ちなみに関係ないですけど、よろずは黒酢を毎日飲んでいます。

注:人により人生の意味や答えは千差万別だと思いますし、正しさもまた千差万別です。あくまでよろずの考えであり、当サイトの根幹でもあるので長くなりましたが説明しておきました。

学ぶことに苦痛を感じている人のために、何か参考になる部分があれば良いんですが。