海坊主の魅力を考察-シティーハンターより

今回は、シティーハンターの登場人物である、海坊主の魅力について迫ってみたいと思います。

海坊主は主人公冴羽獠も認める始末屋(スイーパー)で、彼をして「この世界で敵に回したらもっとも厄介な奴の一人」と言わしめる程、実力が拮抗しているライバルとして登場します。本名は「伊集院隼人」と言い、見た目と比べてあまりに立派過ぎる名前だとして冴羽獠が「海坊主」というあだ名を付けました。彼は裏の世界の住人ですから、もちろん本名を名乗って仕事はできませんので、隼の字を取って「ファルコン」と名乗っています。筋肉質で大柄な外見に似合わず、性格は純情で恥ずかしがり屋の側面を持っています。私は西郷隆盛のコスプレ(本記事の後半に画像があります)を見たとき、そこから君子としての素質が彼には備わっているんじゃないか?と感じましたので、考察してみたいと思います。

海坊主の魅力を紹介

それでは、これから彼の魅力を様々な角度から見ていきます。

1.ハードボイルド

海に向かって佇む

まずは、海坊主のハードボイルドな性格からです。まるで古い映画の1シーンから抜き出たような雰囲気があり、孤高な振る舞いが似合っていると思います。夜中にサングラスは普通ありえないと思いますが、すでに体の一部になっているため違和感を感じさせません。逆に、サングラスをかけていない方が不自然に感じてしまうという、不思議なキャラとなっています。

船着き場での別れ

船着き場で初恋相手との別れのシーンです。海坊主は若い頃からずっと戦場で戦っていましたから、色恋沙汰に非常に疎く、せっかく仲良くなったのに別れるのは、本人にとってきつかったと思います。

飛行場での別れ

傭兵時代の上官の娘、氷室真希が外国に旅立つのを見送るシーンです。引き締まった筋肉質の体型だと、どんな振る舞いをしても様になりますね。大人の渋さを感じます。

2.恥ずかしがり屋

ファンクラブに照れる

一方、彼はハードボイルドで強面(こわもて)の顔に似合わず、恥ずかしがり屋という側面も持っています。上の画像でなぜ照れているのかと言うと、不良に絡まれた女子高生たちを助けた結果、彼女たちがお礼を込めてファンクラブを作り、海坊主そっくりのマスコット人形を持って挨拶に訪れたからです。褒められたり、プレゼントをもらったり、女性に接する機会の少ない彼が照れて赤くなったのも自然な反応だと思います。

人見知りが激しい

これは、食料などの日用品を買いに出かけた後の、帰宅途上のシーンです。大の男が日用品を買い物に行くのがそんなに恥ずかしいのか、人目に付かないよう建物の陰に隠れながらこそこそと移動しています。海坊主は現代では珍しい古風な男ですから、そこらへんを考慮に入れれば彼の極端な行動も少しは理解できるかもしれません。

3.純情な性格

女性の前で緊張する

特に女性が相手だと緊張して汗が出たり、顔が硬直したり、動作がぎこちなくなるほど純な性格をしています。

ピアノを弾く

このエピソードでは、好きな相手がたまたまピアニストだったので、それに影響されたのか、子供用のおもちゃのピアノを弾いています。ちなみに彼がここで弾いている曲は、「ぽっぽっぽー、鳩ぽっぽー」で有名な『鳩』です。

4.涙脆い

過去の思い出に涙を流す

氷室真希のバイオリンを聞いて傭兵時代の思い出がよみがえり、涙を流した稀有なシーンです。主人公の冴羽獠が似たような経験をしても涙は流さないと思うので、海坊主は彼と比べて涙脆いと言えるかもしれません。冴羽は人格的に弱点があまり見当たりませんが、海坊主の方は女性・子供・猫など様々な弱点を持っているので、個人的に親しみがわきます。

5.猫に好かれる

猫に好かれる

猫嫌いなのに猫に好かれるという、やっかいな業を背負っています。実際こんな弱点があったら命のやり取りを行うスイーパーとしては致命的だと思いますし、アニメでも一度、敵が猫を利用して窮地に陥ったシーンがありました。

6.営業スマイル

営業スマイル はにかみ

カフェのマスターとなった海坊主が客に見せた営業スマイルです。これを見る限り、明らかに接客業には向かない性格だと思いますし、逆に客の方が困るでしょう。無理に笑顔を見せずに自然体で客に応じた方が、遥かにマシかもしれません。

営業スマイル 引きつった笑み

最初よりもさらに引きつった営業スマイルです。

営業スマイル 悪魔の笑み

最後は冷やかし客限定で見せる、営業スマイル(悪魔の微笑み)です。この笑みを見た客は、五体満足で無事にお店から出ることはできません。

私が思うに、海坊主は始末屋を引退したら牧師とかお坊さん(注:髪の毛の有無とは関係ありません)になった方がいいような気がします。それかまたは、保父さんも似合うかもしれません。少なくとも彼の性格は商売には向いていないと思いますし、バブル期に漫画を連載していた当時ですら、お店に閑古鳥が鳴いていた状況を考えると、現在の不景気な世の中でカフェテリアの経営はとても無理そうに見えます。

7.まじめに道化を演じる

ケンタッキー カーネル・サンダース

最後に、まじめで硬派な性格にも関わらず、道化を平気で演じているシーンをおまけで紹介したいと思います。上の画像は誰に変装しているのか、すぐに分かりますよね。

カモに偽装

こちらはカモに偽装しています。なんか頭にやかんを載せたよろずと見た目が被るような気がします。

海坊主は君子の素質を備えている

西郷隆盛っぽい海坊主

ここからは、海坊主の人間性を哲学的観点から論じてみたいと思います。上の図では彼が西郷隆盛に扮していますけれど、実際海坊主と西郷隆盛には「豪傑」や「君子」として、共通している部分がいくつかあるように感じました。

1.君子とは何か

そもそも豪傑や君子とはどのような人物を指すのか、以前書いた事もあるんですがもう一度おさらいしてみたいと思います。

孔子が好ましいとした『剛毅木訥』を参考にすると、それは「欲が無くまっすぐで、毅然とした強さを持ち、寡黙・純朴で飾らない自然体の人」の事を指しています。老子の教えを参考にすれば、「平静・素朴で余計なことは喋らず、赤子のように柔らかく弱い存在で人の卑しむ位置におり、欲を持たず争わず、余計な知恵も作為も持たない人」の事を指します。また、他のある偉人は君子のことを「熱血漢」だと形容しています。



「おしゃべりは『三文の得』にもならない。しかし、もっと厭わしく思うのは、阿諛追従の徒、ひとのよだれを舐める手合だ」

「今日では、誠実ということほど、貴重で、稀有なものはないと、わたしは思う」

―――鳥の知恵は言う。「見てごらん。上もなく、下もない!身を投げるがいい、どこへでも、前へでも、うしろへでも!あなたは軽快そのものだ!歌いなさい!もう語ることはやめなさい!すべての言葉は、重い者たちのためにつくられたのではないのか?軽快な者にとっては、すべての言葉は虚偽ではないのか?歌いなさい!もう語ることはやめなさい!」―――

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(下)』より

補足:
阿諛追従の徒とは、盲目に精神的な奴隷となっている人のことを指していると私は解釈しています。上記で使用される「三文の得」は、勘違いしないように「三文の徳」と理解した方が良いかもしれません。また、ニーチェの言う「誠実」な人は今の世ではなかなかお目にかかれません。善良な人でも誠実とは限らないように、悪人だからそうではないとも限りません。例えば、就職の面接なんかでは、自分を高くアピールするために誰でも虚勢を張るでしょう。ニーチェや河井継之助流に言えば、社会人のスタート地点から「曲っている」ことになります。


2.中江藤樹・西郷隆盛と海坊主の共通点

海坊主と、近江聖人と言われた中江藤樹や明治維新を主導した豪傑の西郷隆盛との心身的特徴を比較検証してみます。

まず、中江藤樹は記録によると通常サイズの布団からはみ出す程の大男だったそうで、一般の人がステレオタイプに想像する優男的な聖人君子のイメージとはかけ離れた外見をしていたと言われています。彼は士(さむらい)である一方で、規律や人間関係が煩い武士社会に馴染めず、死を覚悟して脱藩をした位ですから、非常に不器用で内向的な性格をしていたと考えられます。

また、西郷隆盛は大柄な体躯で文武両道の武人であり、内省的で純情素朴な熱血漢だった一方で、坂本龍馬の言うように自分の信念に頑な面があった所を見ると、ぶきっちょで世渡り下手な性格だったように思います。

それらを踏まえて海坊主の心身的特徴を考えてみると、意外に偉人達と共通点が多い事に気づくと思います。筋骨隆々の大男で、戦闘のエキスパート(武人)であり、その性格は不器用・内向的・繊細です。あまりしゃべりませんが、時には熱血的な行動を見せることもあります。

3.恥を知る心を持っている-君子になる最低条件

海坊主はよく人前で顔を赤らめることがあり、これは彼が恥の心を知っているからこそ起きる反応です。恥を感じるという事は、自分に自信がないという意味もあると思いますが、別の言い方をすれば「慎み」を無意識的に知っているということにも繋がります。逆に常に人前で堂々としている人は、自分に自信を持っているからであり、それはそれで良い事なんですけれども、傲慢になる傾向が強いので、「慎みの心」を忘れないようにしなければいけません。熱心に勉強する人程気を付けなければいけないことで、私も最近はその危険性を何となく感じており、傲慢の落とし穴に落ちないように注意しています。

また熊沢蕃山は、人前で顔を赤らめる子供の方が、堂々としゃべる子供よりも君子として大成する可能性が大きいとしています。一般的には人前でハキハキ話す子供の方が賢いと考えがちですが、若い頃から自信家で恥を知らない鈍感タイプだと、成長しても大成しづらいとの事です。「心」という漢字を含む「恥」を知っているからこそ、己を省みることができるのであり、心の成長に繋がります。例えば中江藤樹は、一か月前に犯した過ちでさえも、恥じて思い悩んでいたそうです。ただし海坊主に関して言えば、彼はすでにいい歳した大人ですから、子供とはちょっと話がちがうかもしれませんが。

まとめ

以上で、シティーハンターに登場する海坊主の魅力に関する考察を終わります。海坊主は怖い外見とは裏腹に、心は赤子のような純朴さを保っています。孔子や老子が君子として好ましいとした条件に、彼は多くの点で当てはまります。すでに武人としては大成されているので、後は学問を修めて心養さえすれば、全体のバランスが取れるんじゃないでしょうか。引退後の職業として、接客が重要なカフェのマスターを彼が選んだのは正しい選択には思えませんけれど、始末屋の仕事ですでに大金を稼いでいそうなので、お店が毎年赤字経営でも問題ないのかもしれません。

おわり

記事に関連ある書物へのリンク、ご購入はこちらから