道楽への道=学問を究める道

道を究める一般的に「道楽」というと、否定的な意味として使われることが多いんじゃないかと思います。「道楽息子」みたいに趣味や遊興にふける意味としてよく使われますし。

しかし、本来の意味は「道を解して自ら楽しむ」ということから始まった言葉です。他に「学問に極まる」ともいいます。(参考: Wikiより)

私にとって人生の転機となった書物「私の個人主義」を著わした夏目漱石もある意味「道楽者」です。漱石は「己のため」に文学を書いていましたが、たまたまそれが「人のため」になり、人に気に入られたため、最終的にお金という報酬として自分に返ってきたと本で語られています。もし最初から「人のため」を目的に文学を書いていたら、彼は執筆活動を早い段階で止めていたかもしれません。漱石の考えや生き方にはいろいろ共感するものがありました。詳しいことはレビューの方に書いてあります。

サイト名「道楽道」には「学問を究める道」という意味や、「人生の道を楽して楽しむ」という意味を込めています。

「極める」ではなく「究める」という漢字を使用した理由は、前者は極度や極限など一点に到達することを目的としている感じがするのに対し、後者は探究や追究などゴールが定まっていない道を見きわめたり明らかにして進んでいく感じがしたので、「究める」の方が私には合っていると思いました。

つまり「学問を究める」とは、学びを探究していく過程で様々なことを明らかにしていくことです。

一方、「楽をする」とはあまり無理をせず自分に素直に生きるという意味で、また「楽しむ」とは人生を楽しむというそのままの意味で使っています。

他に左から読んでも右から読んでも同じ意味のサイト名は、たとえスタート地点は違えど、共通する大事なものがあるんじゃないかという意味で名づけました。

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