くねった道 プロセスイメージ画像

総合学問とは?

これは私的意見ですが、総合的に学ぶといっても個人により学ぶ定義や程度も変わるはずですので、数字や相対評価で誰が優秀だとか上下の優劣をつけるべきではない学問だと思っています。

それと、結果が全てと言うよりは、そこに至るまでの過程やプロセスを重視しています。

多分、DIY (Do It Yourself)と通じるものがあるでしょう。日曜大工という意味で使われることが多いと思いますが、私の意味は言葉通り自分でやれることは自ら行うという意味です。

個を追求する学問とも言えますが、じゃあ自分のことだけを考えて周囲との協調やチームワークはどうでもいいのか?というとそういう意味ではなく、各人が個を尊重するからこそ生まれてくるチームワークもあるような気がします。

社会的意義

社会的意義という観点からも、説明したいと思います。

東日本大震災が起きた直後、今まで普通に働いていた人たちの多くが、スーパーマーケットで食料を求めて何時間も行列を作っている状況を見ました。医者や薬が足りていないことを聞きました。後になってから、原発事故が起きたことを知りました。

事が起きる都度、「日本って案外非常時に弱いんじゃないか?」と感じてなりませんでした。言霊信仰なのかはわかりませんが、考えたくないマイナスの事柄に対して、不安を述べたり危険性を訴えることを良しとしない風潮は、多かれ少なかれ社会全体にあるんじゃないでしょうか。

世の中に想定外となりうる災害は、数限りなくあるので、それら全てに逐一対応しているわけにはいきません。地震、津波、原発に安全対策を施したからと言って、自然災害、人災含めて他に可能性としていくらでも考えることができる以上、個別に対処することは、きりがないと感じます。

非常時における急激な人材需給変化への対応総合家=安全マージン

私は、社会の中での自らの位置づけとして、平時には一般人、非常時には急激な変化に対する安全マージン(衝撃吸収材)として機能したいと考えています。

安全マージンとは、技術分野でよく使われる専門用語で、直訳すれば「余白」と言う意味ですが、感覚的にはスポンジみたいな「衝撃吸収剤」という意味に受け取ってもらえるとわかりやすいかもしれません。スポンジが厚ければ厚いほど、外部からの衝撃に対して強くなりますよね。飛行機、ロケット、原発も含めてリスクの高い構造物程、設計時には安全マージンを広く取る必要があります。安全に対する見積りを誤ると、後で大惨事になる可能性が高くなります。

もう少し広い視野を持った柔軟性の高い人材育成の考え方や価値観が必要だと思うんです。これから将来性がある分野だからと、特定の知識を国が奨励して子供の頃から教育したとしても、その子たちが育つ10年20年後には状況が一変しているかもしれません。

状況が異なれば、必要とされる人材も異なります。想定外の事が起きることを完全に防ぐことはできません。だったら、少なくとも事が起きてからでも、十分対処ができるように、社会全体で準備だけはしてもらいたいと望んでいます。

綺麗ごとばかり言っているので、一応言っておきますが、よろずは少なくとも悪人ではないと思いますが、善人でもないです。人助けや世のためになることを至上の喜びと感じるわけでもありません。ただ、非常時になれば、結果的に何か世のためになる知識は持っていたいと考えてはいます。

どういう行動を取るにせよ、個人の意思で決断することが必要不可欠だと思います。