このページでは、よろずの字(あざな)である『潜龍』、そして肩書きである『処士』や『芋掘り学者』についての意味や由来を詳しく書いていきたいと思います。

潜龍の意味と由来

最初に潜龍の文字を目にしたのは、大橋健二著の『中江藤樹・異形の聖人』という書の最後のページでした。中江藤樹はひたすら自己収斂に努めた、まさに潜龍の名に相応しい人で、彼は王陽明が興した『陽明学』を学んで大悟し、「日本陽明学(藤樹学とも言う)の祖」とも「近江聖人」とも言われるようになりました。

彼自身は武士を脱藩して、最後は村落教師として41歳で生涯を終えましたので、目に見えるような大きな功績を残してはいないんですが、門人やその後継者には国家そのものを動かしたような志士がたくさん生まれています。

潜龍という文字を最初に目にした時、心の中で直感的に「これだ!」と思ったんです。自分が求めているもの、最終的になりたいものを一番簡潔で端的に表現しているように感じました。

1. 「潜」の意味

陽明学者である春日潜庵や伊東潜龍の名前には、「潜」という文字が入っていますが、彼らがなぜ自分の名前にその文字を入れたのか、その志が何となく分かるような気がします。ちなみに春日潜庵はロシアのバルチック艦隊を破ったあの東郷平八郎の師匠ですし、伊東潜龍は西郷隆盛・大久保利通・海江田信義の先生です。

普通は目に見える華々しい功績を挙げた人たちにだけ脚光が当てられますが、彼らを裏から支えていた人たちがいたことも忘れてはいけないと思います。

また、中江藤樹や伊東潜龍は独学で学問を身に付けました。「潜」には独り慎んで(慎独)学ぶという意味もあったのではないかと想像します。

ここで、慎独について言及している文章があるので引用します。熊沢蕃山は中江藤樹の高弟であり、学者としても政治家としても非常な功績を残した人です。


「谷の窪にも山あいにも、この国のいたるところに聖賢はいる。ただ、その人々は自分を現さないから、世に知られない。それが真の聖賢であって、世に鳴り渡った人々は、とるに足りない」
中江藤樹の言より

「君子の意志は内に向ふ。己ひとり知ところを慎て、人にしられんことをもとめず。天地神明とまじはる」
熊沢蕃山『集義和書』より


ですから、潜龍の「潜」とは、有名な偉人の生き方やその哲学を学ぶと共に、無名のまま生涯を終えた多くの志士たちの志を継ぐ、という意思も含んでいます。

もちろん、静かな場所で独り自己に沈潜する(自己収斂に励む)、という隠棲的な意味もありますので、老荘的な部分も若干含んでいます。

2. 「龍」の意味

「龍」に関しては、自然や天の象徴ともなっており、天地万物一体・天人合一を意味します。もちろん、龍は力強い見た目の通り、強さの象徴でもあります。

しかしそれだけではなく、龍には想像上の融合動物という側面があり、虎は実在の動物で地に足がついて生きていますが、龍は空想上の生き物で空も飛びます。このことから、虎は強い信念を持った現実主義者を象徴し、龍は強い信念を持った理想主義者を象徴した存在だと私は考えています。

それに龍の角はシカ、顔はラクダ、目はウサギ、耳は牛、爪はタカ、手のひらはトラ、体はワニや蛇で構成されています。つまり、龍は多くの動物が合体した霊獣で、これはまさに、私の百の性を持つという「百姓」や「総合家」の精神を象徴しています。

3. 「潜龍」に全てが含まれている

これらの理由から、私の名前は「潜龍」しか考えられません。志や信念を的確に表現しています。また、明治維新を成功させた薩摩藩下士たちの精神的バックボーン、伊東潜龍の陽明学は次の言葉に集約されています。


「沈黙シテ威武ヲ心ニ蓄ヘ、変ニ臨シテハ天地モ覆スガ如キ勇剛ノ働」
伊東潜龍『我々問答』より

補足:
陽明学は学んで実行するという『知行合一』で有名ですが、陽明の言及した『行』は必ずしも目に見える行動に限定されるものではありません。学んでよく思慮し、その結果行動しないという行為も『知行合一』に含まれます。気を発散させて「動」を実践するのか、それとも気を内に蓄えて「静」を維持するのかについては、時処位や自分の信念などを総合的に判断して選択します。

これを三島由紀夫は何でも行動的に実践すると勘違いしていましたが、それは陽明学の一面であり、本質を捉えたものではありません。中江藤樹・佐藤一斎・中根東里・春日潜庵のように、生涯「静」を実践した知行一致も存在します。


他に、竹村亜希子著の『人生に生かす易経』にも「潜龍」という言葉が出てくるのですが、人間成長の一連のプロセスとして「飛龍」や「亢龍」などとセットで使われているため、こちらの意味ではありません。

処士の意味と由来

武士道の書籍処士とは在野にいる武士の事で、別名「小さな志士」と呼んでいます。私の場合はすでに「処士≒潜龍」として、上記に記したような自分の武士道を考えていますので、今のところあまり深入りするつもりはありません。

ちなみに、大橋健二氏の「救国 武士道案内」によると、武士道には大きく分けて3つあるそうです。

1. 戦国武士道

戦国時代を生き抜くための、武を重んじた武士道。

2. 朱子学的武士道

朱子学は林羅山を中心として、江戸時代に官学として採用され、武士の間の主流の学問になりました。文武両道や形式・外面を重んじる特権階級の治者のための教えです。

その派生として、山本常朝の葉隠武士道や天皇中心の皇道武士道があります。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名なのは、葉隠武士道で、実質三島由紀夫が信じていたのはこれで、江戸時代に流行しました。また、皇道武士道は戦前・戦中に軍人たちを中心に広まった教えです。

3. 陽明学的武士道

江戸時代の初期から、日本陽明学の祖である中江藤樹を代表とする陽明学者によって実践されてきた武士道で、権威に依らない個人の内面を重視し、文を基調とした文武一道が基本です。主に、幕末から明治時代にかけて全盛し、多くの志士達によって学ばれました。その後、次第に朱子学的武士道に回帰していきます。

4. 現代人に最も合っているのは、陽明学的武士道

従って、個人的に求めている「士道」に最も近いのが、3番の「陽明学的武士道」で、現代人の価値観にも合っていると思います。もし「志士」を目指されるのであれば、陽明学を基本にされた方が良いでしょう。

しかし、この学問には大きな落とし穴がありますので、特に独学で学ぶ際は注意した方がよいです。「光の哲学」と呼ばれる一方、江戸時代には「謀反の学」と呼ばれ、戦後はタブー扱いされてきた歴史があるからです。確かに、批判される理由が陽明学にはあります。

この世に万能な学問など存在しないという事を、予め認識しておくことは非常に重要です。人によって合う合わないがあるのは当然ですし、個人の適性によって学ぶ学問やその手法が異なって然るべきだと思います。

芋掘り学者の意味と由来

「芋掘り学」とは、芋掘りの農作業をしている時にふと思いつきました。普段自分のことを「潜龍」とか「処士」などと呼ぶと、あまりに立派に聞こえますので、通称は「よろず」で、肩書きは「芋掘り学者」で通したいと思います。これらの名称が、剛毅木訥の自分にはピッタリです。

この芋掘り学問は万人向けの内容だと思いますので、こちらの「芋掘り学問の真髄」に詳細を掲載しました。

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