芋掘り学問の真髄

いろんな考察

サツマイモ

ここでは、私の学問方法について書いていきます。芋掘り学問と呼んでいるんですが、ちょうど芋掘りをしていた時に、一つの蔓を引っ張ったら次々とサツマイモが繋がって収穫できたことから思い付きました。

学校のように学ぶ教科書があらかじめ決まっていたり、時間が定まっているわけではなく、多くの時間とお金がかかる勉強方法です。

長所として、最も自分に合った書物を見つけたり、身の丈に合った学問を必要に応じて適宜身に付けることができるので、行う価値は非常にあると思います。

芋掘り学問の基本ステップ

まず、大まかな学問のステップを書いておきます。

  • 1.イモが埋まっていそうな場所に当たりを付けて蔓を引っ張ってみます。
  • 2.そして、繋がってくるイモを収穫します。
  • 3.途中で蔓が切れてイモが全部収穫できない時は、別の蔓を探して引っ張ったり、周囲を掘って収穫します。
  • 4.一通り収穫出来たら、腐っているイモや小さすぎるイモを省いて食べやすいように整理します。

以上です。

理屈は簡単なんですが、特に10代の学生には時間的制約がありますし、集団生活を行う都合上、本格的に実行するのは難しいと思います。

勉強プロセスの具体例

大体上記の説明でどんなものか想像できたと思いますが、2013年の半年間に私が行った勉強方法を具体例として解説していきたいと思います。

何でもいいんですが、生活していると疑問や不安を抱える事が時々あると思います。その時にちょっとでも興味を持っている題材の書物を選んで真剣に読み始めてください。もし疑問や不安を抱えていないのに、単なる知的興味で書物などを読むのであれば、それは悪い意味での「道楽」の勉強で、知識は増えると思いますがあまり意味はない行為です。テストである程度の点数は取れるかもしれませんけど...

例えば、私が自分自身に対しての疑問や今後の不安を抱き始めた時に、まず選んだのが宮沢賢治関連の書物です。特に深い意味はないんですが、強いて言えば同じ東北出身だったという事が選んだ動機でしょうか。ただ、賢治の書を読んで彼の人生に共感はできたんですが、今一消化不良だったので、同じ理想郷を求めた繋がりで、次は石原莞爾の書物を手に取って読みました。

その後、どちらも法華経の信者という事を知り、その縁で仏教とは何なのか興味が出てきて、成り立ちや起源を知るために原始仏教に関する書籍を何冊か読みました。結果、インドで現在日本人でありながら仏教復興活動の第一人者として知られ、『必生 闘う仏教』の著者でもある、佐々井秀嶺氏の名前をここで知りました。

また、自分の人生に何か参考になると思い、より多くの偉人の生涯を学びたかったので、興味を持った人達の伝記を手当たり次第に読むようになります。その書物の中で、釈迦・孔子・ソクラテス・キリストなど様々な人たちの生涯や思想を学びます。日本人では、森鴎外・芥川龍之介・安藤昌益などの本を読みました。

西洋の哲学も知っておこうと思って手に取ったソクラテスの書籍ですが、その縁でプラトンの本も少し読みました。

ここで、以前から自然農法や養鶏を行っていましたから、自分がなぜそうやって自給農業を目指したいのか、より深く学んでその理由を再確認するために、日本の飢餓の歴史や国際的な食糧事情についても並行して学び始めました。地元の石巻で過去多数の餓死者を出していた事実や、その飢饉の原因を知り、強い衝撃を受けたことを覚えています。

たまたま老子という人の本が、自然農法の川口由一さんや福岡正信さんの思想と似ている事を知り、『老子』を読み始め、その繋がりで『荘子』も読みました。自然農法で有名なお二人の思想が、老荘思想や仏教に基づいているんだとここでよくわかりました。

後、以前見たアニメ(多分絶望先生だったと思います)でチェ・ゲバラのTシャツを着たキャラが出てきたのを思い出し、彼がどういう人だったのかにも興味が出てきて、その伝記『チェ・ゲバラ伝』を読みました。ここで南米社会の裏事情を知ることができ、飢餓の勉強と合わせて、なぜグローバルな飢餓問題が一向に解決しないのかも、その理由が何となく理解できるようになりました。

また、孔子の書物は早い段階で購入していたんですが、彼の本は勉強を開始してから2か月ほど経ってから読み始めました。なぜすぐ読まなかったかと言うと、儒教に対する悪いイメージが先入観としてあったからです。孔子の『論語』を起点として、孟子・大学・中庸(四書)の存在も知りました。

儒教の理屈は大体わかったんですが、どうも個人的に不完全というか違和感を感じて今一ぴんと来ませんでした。その理由は、儒教が人間中心の教えで、体系化されていないように見えたからだと思います。自然をあまり考慮に入れていない事も気になりました。

ただ、全体的に自分は西洋の学問よりも、東洋哲学(儒教・老荘・仏教のこと)が一番合っていると感じたので、さらに東洋の学問を広く深く求道しようと考え始めます。

そうやって勉強を始めてから3か月経った頃、中江藤樹から『日本陽明学』の存在を知り、王陽明の『陽明学』を知り、そしてその継承者たちの逸話や思想にも触れることができました。この間に、易経の陰陽五行も少し学びました。

4か月も過ぎると、あまりに増え過ぎた知識をいったん整理するために、熟考のための時間をまとめて取り、知識が必要になったらその都度勉学に励むようなスタイルに変えました。こうやって、残りの期間は全て、学問と自省の繰り返しを行いました。

大体半年間の勉強はこんな感じだったでしょうか。ただし、これは哲学・宗教・文学に限定した場合の勉強例です。農業や医療関連の本も時々読みましたから、全部合わせると約半年間で70冊近くの本を購入して読んだことになります。はっきり言って痛い出費です...

本当は図書館で本を借りて全て間に合えば良かったんですが、地元の図書館は規模が小さくて欲しい本は取り寄せないとまず手に入りませんでしたし、それに取り寄せるにしても1~2週間かかりますから、一日でも惜しい私にとっては致命的な時間ロスで許容できませんでした。

すべての書物を最初から最後まで読んだわけではありませんが、毎日ほとんど読書と考察だけをしていたことになります。

読書と並行して農作業も行っていましたが、それでも運動不足になる位机に座りっぱなしでした。しかし、人生の中でこのように自分のために真剣に勉強することが何度か必要なのではないかと感じます。

仕事やサイトの運営をしながらの、「ながら勉強」では、現在の境地にまで絶対到達できなかったと思います。なぜならば、必ず外部の人や情報と接しますので、世間の考えに影響されてしまい、自省に集中できなかったはずですから。

一番重要だったのは、最後の自省と収斂のプロセスです。半年間も勉強に費やし、これ以上の延長は絶対無理だと決めていましたので、バラバラに学んだ知識を何としてでも一つの知として円通するように最後まで粘りました。この時間を取らなかったら、多分バラバラの知識のままだったはずです。それでも有用な知識ではあるんですが、根源を求める私にとっては意味がありませんでした。

勉強に飽きた場合の対処法

芋掘りのような勉強をする際、非常に重要だと思ったのは、飽きたと感じ始めたら無理に同じ勉強を継続しない事です。私なんかは元々飽きっぽい性格なので、この「飽きる」ということは短所の一つだと思っていたんですが、今では長所として捉えています。

勉強をしている最中に飽きるということは、可能性として2つが考えられると思います。

一つ目は、脳が疲れているということで、この場合は休息を取ればまた学問に対する意欲が湧きます。適度な休息を取らずに勉強を強硬しても能率は上がらず、心身のストレスも溜まり健康にも良くないので、あまり賢い勉強方法とは言えません。

もう一つは、脳が疲れていないのに勉強を開始するとすぐ飽きてしまうケースです。この兆候が見られたときには、本人にとってその分野の勉強を継続する事に意義を感じていないのかもしれません。

例えば、ある人にとっては基礎から一つ一つ学ぶことが大切だと思っていても、それが万人に通じるわけではなく、私なんかは自分で必要だと思ったら、基礎からでも応用からでも勉強を始めます。勉強の優先順位は、自分の学力・性質・信念・動機などその時の状態や状況に応じて変わります。

ですから、学生時代の勉強は、常に基礎理論から開始するために「つまらない」と感じていました。まず学問の全体像を把握して、自分の興味のある分野から優先して学ぶことが私にとって一番だと感じますので、全体像を把握もせず、現実にどう応用できるかもはっきりしない状態で基礎を学ぼうとしても、その重要性が理解できずにモチベーションが上がらないんです。

また、学校では自分が理解していなくてもそのまま授業が進んでしまうため、だんだん記憶重視のテスト対策の学問になってしまいます。

ですから、自分で自由に学ぶ時間が取れるのであれば、同じ勉強に飽きたら心機一転して別の勉強を新たに始めた方が良いかもしれません。途中までの勉強でも、飽きたらそのまま中止し、後に再びその勉強に必要性を感じたら、いつでも戻ってくればいいんです。

例えば、儒教に関する本を何冊か読んでいた時に、もう飽きて十分だと感じる時が何度かありました。その時は無理に書物を読み続けるのではなく、再び興味が出てくるまで、他の関係のない書物を読んだりして考えを整理すればいいんです。

脳がその勉強はもう十分だと指令を出しているから飽きるわけで、飽きた勉強にいつまでも固執している必要はありません。興味が復活すれば再び勉強を再開すれば良い訳ですし、必要性を感じなければそのまま別の勉強を続ければ良いんです。また、本そのものが読みたくない時は、知識優先の学問はもう十分だというサインかもしれないので、何もせずにリラックスして考え事をしたり、頭の中を整理するなどします。

知識を増やすために学んだり、その知識について考えたり、理論を実行に移したり、自省する作業は、本人が必要だと思った時に適宜縦横無尽に行えばいいんです。私はこれを『知考行省一体』と呼んでいます。

学校では自分の都合で何を学ぶか決められませんし、リラックスしてゆっくり考える必要がある時でも、授業があるためその時間を取れないという弱点があります。

ですから、大半の人にとっては、時間に余裕のある大学生の時か、社会人になって大きな壁にぶつかり、引きこもりになってからしか自分の望む学問と自省ができません。これは非常に不幸なことだと思います。

まとめ

最初に選択する2,3冊はあまりしっくりこないかもしれませんが、次々と本を読み続けている内に、いずれは本当に探し求めていた書籍に出会うことが出来ると思います。自分に合わない本を10冊読むよりは、合った本を1冊読んだ方がよっぽどためになりますから、バイブルと呼ぶべき本を探し求めることを強くお勧めします。

そして、勉強に飽きた時は、無理に継続しようとせず、休息が必要な時は休み、異なった学問が必要だと感じた場合はその勉強を始めるなど、臨機応変に対応する柔軟さが、知識の横の広がりを助けると思います。

イモ畑

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