鎖に繋がれた犬と自由な犬 中編 「世にも奇妙な物語」より

いろんな考察

13番目の客 草彅 剛

「鎖に繋がれた犬と自由な犬」の考察

ここからは、考察に入ります。

まず、前ページでタモリが鎖に繋がれた犬と、自由な犬のどちらが幸せかと言っています。しかし、この場合質問が必ずしも2者択一である必要はないと思います。

人によっては、秩序やルールで自由を縛られても、その方が安堵する人もいるでしょうし、逆に秩序がない方が安堵して生きられる人もいるでしょう。人は誰でも、ある程度の自由や秩序は程度の差こそあれ求めるものだと思います。

物語では、特殊な秩序で固められた集団の中にいきなり主人公が放り込まれて、個性を発揮して自由に生きることを強制的に学ばされます。型にはまらないで生きようと言っているのに、教え方や教える内容は型にはまっています。矛盾していると感じますが、多分、お話の悲劇はその部分にあるんじゃないかと思うんです。型にはまらない生き方を学びたければ、本人で決断して自ら型にはまらない方法で学ぶべきだと思います。

その過程で、自由と秩序の狭間のどこかに、人それぞれが自分なりの幸せを見つければいいんじゃないでしょうか。

この作品は非常に練られていて、2重3重に皮肉が込められていると感じます。見る視点によって印象や感想も変わるかもしれません。

最初に行う掃除仕事の中で先輩から受けるアドバイス

先輩から掃除の心得を教わる前ページの概要説明では、細かい部分は記述していませんが、お話の中で先輩から次のようなアドバイスを受けます。

「誰もが嫌がる仕事を行い、気にかけないことに手をかける。」
「磨くのはあなたの心です。世俗の思慮分別に曇っているあなたの心。」

私が学生時代放課後に毎日行った掃除は、単に義務感やルールの一つとしてやっていました。自分の心を磨くという気持ちで掃除をするなら、掃除嫌いの私も真面目にできそうです。しかし、誰もが嫌がる仕事を行い、気にかけないことに手をかけるっていう部分は、私には実行することが難しそうです。

通常、組織の中で掃除は一番の下っ端が行うものと相場で決まっています。掃除も一つの勉強と捉えれば、先輩や教える側はそれを自ら実践し、何が大切なのかを行動で伝える努力も必要だと思います。それを、掃除は新入りの下っ端がするもの、という意識を持っていたら、綺麗好きでもない限り率先してやる気なんかなくなります。

教える側の人間として必要なのは形じゃなく、この先輩が発言したような行動の裏にある精神を伝えることなんじゃないかと思います。単に社会的な義務や秩序を上から押し付けても反発する人は多いはずです。世の中に秩序が必要なのは当然ですが、秩序が作られた理由を伝えずに万人に押し付けるのは無理があると感じることが時々あります。

5つの段階

誰でも新しい生活や文化に接すると、5つの段階を経験すると、謙一郎は先輩から聞きます。第1段階は、「好奇心」。第2段階は、「不満」。第3段階は、「知ったかぶり」。第4段階は、「理解し自分のものにする」。そして最後の第5段階は、ドラマでは明確に説明されていませんが、謙一郎の最後の描写を見る限り、多分「恐怖」なんですかね。他に「虚無」や「無差別知」も考えられるような気がしますが、私はその域に達していないのでよくわかりません。

注:無差別知については、こちらを参照してください。

共同生活ドラマの最後では、謙一郎から不安や恐怖や混乱など、いろんな負の感情が伝わってきます。なぜそんなことになったかと言えば、間違った過程を踏んで学んだからだとよろずは思います。つまり、本ストーリーで言えば、秩序を守り協調して生きることが絶対的ルールである環境で、自由や個性の尊重を教えていた、ということです。矛盾していますし、これでは自由や個性を大事にする知識は得られたかもしれませんが、それらの理論を実践する環境もなければ、自由に対する不安や恐怖を克服するための強さを養う機会もありません。ですから、謙一郎は恐怖や不安に支配されたのではないかと思います。

序列それに、謙一郎は話の中で、「金を増やしたり眠らずに働くことに意味はない」と言っています。この言葉自体は否定しませんが、生活環境による変化で強制的に植えつけられた価値観ですから、彼自身で経験して考え出した知識ではありません。ですから、異なった環境に遭遇した時に、混乱や不安を生じてしまいます。特殊な秩序が支配する理髪店の閉じられた空間では、生きていくためには彼らのルールに従い、疑問を感じてはいけませんから仕方ないですが。このお話は、教える側の人間には多大な責任が伴うということを教えてくれます。

よろずの5つの段階

5つの段階の中で第3段階の知ったかぶりまでは、オーストラリアに10年住んでいた経験から、よくわかります。最初の数年は、カルチャーショックで見るもの聞くものすべてが新鮮で楽しかったですが、何年も住んでいると次第に不満が出てきます。たまには知ったかぶりもしました。第4段階の欧米文化を本当に理解できたかと言えば、正直疑問ですが、誤った動機で海外に滞在していたのですから、理解できていなくてもある意味当然です。そして、滞在が10年を過ぎたあたりで、どうしようもない恐怖や不安に襲われました。それが第5段階だったのかもしれません。少なくとも当時の私は、異国の地に骨を埋める自由と孤独と恐怖に対して、克服するだけの強さがなかったのは確かです。自由を求めているくせに、その自由に恐怖を感じたことは、皮肉に感じます。

「鎖に繋がれた犬と自由な犬 3」に続きます。

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