ルパン三世の石川五ェ門は何のために修行しているのか?

初めはアニメ関連の話題です。

ルパン三世に出てくる石川五ェ門について

意味があるのかないのかよくわからない考察ですが、たまたま思い浮かんだので書いておきます。ルパン三世は子供の頃から見ていたアニメで、当時は何も考えずにビデオに録画して何度も見ていましたが、この歳になってあらためて見てみると、疑問点がいくつか浮かんできました。

注意:
石川五ェ門が好きで好きでたまらない人や、自分の好きなキャラが少しでも否定されるのが嫌な方は、これ以上読まない方が良いと思います。

ルパン三世-パンドラの遺産それは石川五ェ門というキャラクターの矛盾についてです。彼は子供の頃にファミコンゲームのパンドラの遺産(右の写真参照)でもよく選んでいた、強くてお気に入りのキャラですが、彼は何の修行をしていて、どんな悟りを得ようとしているのかふと疑問に感じました。

ルパンや次元は、自分なりの人生哲学を持って生きているということは作品中(ページ下部の作品参照)で語られています。ルパンは自分のことを「自由人」と言っていましたし、次元に対しても組織の中では生きられない同類の人間として、彼を自分の仲間に誘います。

善悪は別として、ルパンも次元も精神的に達観しているというか、自分の信念を元に行動しているのはわかります。一方、五ェ門はどうでしょうか?精神的に不安定な描写が多く、簡単に異性に一目ぼれしたり、カルト宗教にはまったりと、銃弾を日本刀で跳ね返す異常な強さの割には子供っぽいところ(良い意味では純真)もあります。

それはそれで可愛げがあっていいと思うんですけど、五ェ門の人知を超えた強さを考えると非常にアンバランスだと感じます。そもそも、精神的に未成熟な人がその道のプロとして生きている悪者たちと戦えるほどの強さを身に付けられるものなのでしょうか?

なんでこんなこと考えるかというと、よろずは五ェ門と性格的に似ている部分があるからです。迷いのある人間の弱さを自らの経験で知っているので、彼のキャラクターに矛盾と言うか違和感を感じてしまうんです。

五ェ門は答えを見つけるために修行しています。しかし、ルパンや次元は自分の答えを生きています。この差は大きいと感じます。作中でも、ルパンや次元は普段から友人としてつるんでいる描写が多いですが、五ェ門は彼らから一歩引いています。個人的には、彼にはルパンや次元と能力的な意味だけでなく、精神的な成熟さでも対等な仲間として、活躍してもらいたいです。でも、五ェ門が自らの答えを見つけた時は、剣を捨てるかもしれません。そんな彼を見たくありませんし、今のままの方がちょうど良いのかもしれません。

五ェ門にとっての修業とは?

彼は自らの答えを出すために、滝に打たれたり、修行の旅に出る描写がアニメで出てきますが、それだけで悩みの答えは見つかるんでしょうか?単純で騙されやすく、思い込んだら突っ走る傾向が強い五ェ門のような人(よろずも当てはまります)は、自分の頭だけで答えを見つけようとしない方が良いと思います。なぜなら、自らの知識量以上の答えは、大抵見いだせないからです。偶然答えが見つかる場合もあるでしょうが、普通は知識や経験の積み重ねが、新たな答えを導き出す土台になると思います。山に籠って静かな環境で自らを省みるのも大事だと感じますが、同時に知識を高めることも必要でしょう。

パンドラの箱

くだらぬ物とは?

五ェ門の口癖として、毎回「くだらぬ物を切ってしまった」という自嘲気味の言葉がお決まりとして出てきますが、くだらぬ物とは何なのでしょうか?斬鉄剣で切るほどの価値がないものということなんでしょうか?では、斬鉄剣で切る価値のあるもの、例えばヘミングウェイ・ペーパーに出てくるパンドラの箱や、斬鉄剣で切れないこんにゃくなんかは価値があるんでしょうか?単に切れるかどうかでくだらないと言っているのか、それとも他に意味があるのか、今一よくわからない一言です。

五ェ門の悩み

彼の悩んでいる内容として、例えばアニメの作中で下記の質問を自分に問うています。
1.わが身の分身と離れられぬ悩み (ヘミングウェイ・ペーパーの謎より)
2.悦楽と煩悩について (ハリマオの財宝を追え!!)
3.快楽における人間の愚かさとは何か (ハリマオの財宝を追え!!)

1番については、どういう意味で言っているんでしょうね。わが身の分身とは、斬鉄剣のことを言っているのか、自らの煩悩や雑念のことを言っているのか、それとも他の何かなのかで話が変わります。

2番と3番については、想像がしにくいですが、ただ、人間の愚かさについては、悦楽だけが原因じゃなく、怒り、不安、恐怖も人を愚かな行動に走らせる元凶だと思うので、まとめて考えた方が良いような気はします。これらは人の感情を支配するという意味で、表裏一体だと思いますし、感情があることで、人は生きていけるとも感じます。五ェ門の性格だと、自らが愚かな行為をしないようにと快楽そのものを否定するかもしれません。しかし、それが却って彼を苦しめることになりそうです。人の愚かさだけを考えると、悲観的になりやすいので、良い面も同時に考察してバランスを取った方が良いかもしれません。

五ェ門が自分に問うている疑問(例えば煩悩について)は、人の身で答えを出せるのか疑問に感じるんですが、もし仮に煩悩を断ち切って生きていくのであれば、多分人里離れた山奥で仙人のような暮らしをするしかないでしょう。でも、人は食べて生きていかなくちゃいけませんから、実行するのは非常に困難だと思います。五ェ門は最終的にどこに向かおうとしているのでしょうか?俗世の雑念から解放されることが、彼の望みなのでしょうか?

五ェ門の悩みに対する答えが見つかる日は来るんですかね。その時には、彼はどういう人になって、どういう生き方を選ぶのか興味があります。

参照

このページは、下記の作品で語られた内容を元にしています。よろずは初期の頃のテレビスペシャルが好きです。
ルパン三世 ヘミングウェイ・ペーパーの謎
ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え
ルパン三世 ハリマオの財宝を追え!!
ルパン三世 ワルサーP38
ルパン三世 EPISODE:0 ファーストコンタクト