本を読むことの大切さ-ネットやテレビと本で得る知識の違い

いろんな考察

書籍

最近気になっていることがあるんですが、それはネットやテレビで知識を得ることと、本で知識を得ることには大きな隔たりがあるんじゃないか、ということです。

本を読むことは非常に大事なことだと私は思います。知識が増えるという面もありますが、それ以上の意味があり、それは心も成長していくことが可能だということです。これが理想的な「学び」だと思っています。

極端な話、知識だけを得たいのであればネットやテレビの情報でも十分かもしれません。もちろんそれらの情報源も大事なことに変わりはないのですが、どうもネットだけとかテレビだけで情報を得ている人が多いんじゃないか、と感じることが以前からあります。

知識が豊富な人はネット上にたくさん見かけます。しかし、それらの知識がどのような思考プロセスを経て得られたのかがわからないことが時々気になります。例えば、1行か2行の短文で意見を主張されても、その人の人格や考えの度合いまで量りようがありません。中には、他人が言ったことを単にオウム返ししているだけのように感じることもあります。

通常、数百ページに及ぶ書籍の内容をネットやテレビ(動画)で詳細に伝えようとしたら、膨大なページや時間になります。それだけの情報量を時間をかけてでも読書で学ぶ理由を今回は考えていきたいと思います。

ネットで学ぶこと

ネット情報で学べること初めにも書きましたが、単に知識を学ぶだけでしたらネットが一番効率的だと思います。なぜなら、ネットで検索すれば自分の欲しい情報が大抵すぐ見つかるからです。これほど便利なことはないと思います。

私にとって、ネットの情報は数学で言えば方程式などの答えを知るために覗いています。例えば、ウェブサイトを制作する際の特定の問題解決のための情報は、ネットを検索して情報収集した方が手っ取り早いことが多いです。

一方、知識そのものが重要なのではなく、その知識の背景にある哲学や思考プロセスなどの過程が大事な場合は、ネットだけで学ぶのは難しいと感じます。

なぜかと言うと、ネット情報が断片的だからかもしれません。一つのサイトを読んでいても、情報の流れが掴めないことが多いです。私のサイトもその点では例外ではありません。ですから、長文になってでも可能な限り一つのページに内容を収めようと思っています。SEO的には不利ですけど。

この道楽道サイトも情報の流れがいびつであるということを自覚しています。ブログ形式で情報を時間の流れで整理していますから、知識の断片化を助長させている感じもあります。

他にネットで知識を学ぶ際の問題点は、自分の興味のある分野しか目に入らない可能性が高いということです。大抵の人は自分の欲しい情報を手にするために検索しますから、最初から情報をフィルタリングします。知識もどんどん偏っていく傾向が強くなります。その過程で人間関係も希薄化していくわけですが、このことに関しては今までに何度も書いたことなので省略します。書籍も基本的にはネットで検索して探しますから同じ問題を抱えています。

テレビやDVD教材で学ぶこと

教育目的に制作されたテレビ番組とDVDなどの教材ではちょっと意味合いが異なってきますので、分けて考えていきます。

1.教育目的のテレビ番組

例えば教育目的のテレビは制作者が番組の内容を決定します。視聴者たる私たちは基本的にそれらの内容を見るか見ないかの選択肢しかありません。自分がちょうど欲している情報に合った番組内容が同じ時期に放送されることは少ないので、私は基本的にテレビは見ません。見たい番組をいつでも好きな時に見られればいいんですけどね。

それと、大抵1時間や2時間など時間を区切って放送されますから、内容はテレビ放送用に編集されて非常に限られた情報だけが視聴者に伝えられることがほとんどです。

ただ一方で、ニュース番組などは自分が興味のない情報でも一通り流してくれるので、世の中で何が起きているのかを万遍なく知るには良いと思います。ネットでもニュースは見れますが、わざわざ自分の興味のない分野のニュースを主体的に読みたいとは思いませんから、テレビのように自分の意志に関係なく勝手に情報を流してくれるのは使い方によっては便利だと思います。

2.DVD動画などの教材

DVD動画教材DVDなどの動画で学ぶ際は、自分で検索して商品を選んで購入するわけですから、ネットや書籍で学ぶことと同じ利点と欠点があります。動画媒体ですから、文章や写真だけの情報よりもはるかに分かりやすい場合が多いです。

独学が中心のよろずにとっては、熟練者の動作などを実際に見ながら学べる機会は非常に少ないので、貴重な情報源となります。しかし、動画は一目見れば大まかに何をやっているかわかりやすい半面、多くの情報が認知できなくて抜け落ちてしまう可能性があります。

熟練者のちょっとした動作の中に深い意味があったとしても、素人がそれに気づくのは中々難しいものです。このような場合は、詳細に文字で内容を説明できる書籍に分があります。

書籍を読んで学ぶこと

書籍を読んで学ぶ私が本を読む理由は多くの場合、数学で言えば方程式を知ると同時にその方程式がどのようにして導き出されたのかを学ぶために時間をかけて読んでいます。人によっては時間の無駄に思えるかもしれませんが、その方程式を導き出せる知識や考え方がどこかで応用に使える可能性があります。急がば回れという事です。

それゆえに、一般的に書籍の方がウェブサイトに書かれている内容やテレビ番組よりも、質や量の観点から上のような気がします。

ネット上に存在する多くのウェブサイトは私のような素人が書いていますし、それに仮に間違った情報を載せても責任問題になることは少ないです。一方、書籍の著者は誤った情報を載せたりしたら信用問題になるので、ちゃんと著者自身と編集のプロの方が内容をチェックしています。

ただし、最近の電子書籍化の流れが、本の質を低下させるのではと懸念しています。書籍一冊分の内容をウェブサイトで著わそうとすると、それだけでサイト一つが出来てしまう分量になりますから、系統だった深い学びを必要とするならば書籍を読むことが一番だと思います。

テレビに関しては、先ほども書きましたが内容を決まった時間内に収めるように編集されていますし、情報そのものが断片化されています。ダイエットのテレビ番組である食品が痩せられると紹介されたとして、実際その番組のおかげでダイエットに成功した人はどれだけいるんでしょうか。視聴者側にも原因があると思いますが、すぐダイエットの効果がでそうな即物的な内容がテレビ番組には多いように感じられます。

一方、DVD動画教材と書籍ではそれぞれ一長一短がありますので、私は可能な限り両方を活用して勉強するようにしています。

1.読書は知識とその背景にある著者の思想や思考プロセスを学ぶため

書籍を読む大きな利点だと私が思うのは、知識の背景にある著者の哲学や思考プロセスを読者に伝えることができるという点だと思います。

ただし、すべての本で著者の思想や哲学が書かれているわけではありません。中には個人的な考えなどは一切書かずに、ノウハウ的な知識だけに終始している本もあります。それでもネットだけで知識を学ぶことに比べたら、本で学んだ方が効率的なことが多いと感じます。

著者の本当の想いを知るためには本を読むしかありません。しかし読者の中には知識やノウハウだけを知りたい人もいるでしょう。そういう人たちにとっては、本を読むことは時間の無駄に感じるかもしれません。

私も単に知識やノウハウだけが知りたいのであれば、わざわざ時間をかけて丁寧に本を読むのはめんどくさく感じます。ネットを探せば効率的に情報を得られるようなサイトはたくさんありますし、本で同様に学びたいのであれば速読法を習得しても良いかもしれません。しかし、速読しながらだと考える暇はないと思うので、心を成長させることは難しいような気がします。

2.知識の増加と心の成長の関係

成長初めにも書きましたが、知識と心の成長は比例しているのが理想的な学びだと私は思っています。なぜそう思うかと言うと、私は子供の頃、10代の精神年齢のまま20代前半まで生きてきた経験があるからです。当時は勉強が苦痛で仕方がなかったので、知識だけ学んでそこそこの点数を取れればいいと割り切って学んでいました。ですから、当時の学びが精神的な成長に繋がることはありませんでしたし、さらに私の場合は、つらい現実(当時の自分にとって)に直面して心を閉ざしていましたから、何年経っても全く精神的に成長しなかったのです。

当時を知っている人であれば、どれほど私が幼かったかわかると思います。

ちなみに私が言う心の成長とは、自分で認識できる成長のことです。例えば多くの書物を読んだ後、しばらく経ってから自分が大きく成長したことが実感できることがあります。中々自らの成長を実感する機会はないかもしれませんが、ちゃんと学び続けていればいつかは感じることができると思います。

注意して頂きたいのは、他人からの評価、学歴、社会的地位で自分の成長を量るのではないということです。人との関係は利害が絡むことが多いですし、相対的な評価になりがちですから、周囲の評価は当てにならないと私は考えます。

それと、私が書籍レビューのページでいろいろな本を読んだ感想を書いていますが、著者本人の考えを本当に理解するためには自分で本を開いて読むのが一番です。私が書いた感想はあくまで自分で理解できた範囲にしか過ぎませんし、それにレビューは要約に過ぎませんから、方程式みたいな知識は得られても自ら方程式を導きだせる応用力が身に付くとは思えません。

知識や心の成長も筋力トレーニングと似ている部分があります。昔読んだときは全然意味がわからなかった本も、心がある程度成長した後に読むと理解が進むことがあります。反対に昔はバイブルだと思っていた本も今では大したことないと感じるものもあります。それは自分の知識が増え、同時に心が成長したことによって物の見方が変わったからだと思います。

損得で考えない無分別の「学ぶ」という強い動機と自分の頭で考えて疑問を明らかにする探究心が、私の場合は心の成長に大きく寄与していると感じます。もちろん、偉そうなこと書いている私自身もまだまだ未熟者に変わりはありません。

木を見て森を見ずの教育政策と社会構造

木を見て森を見ず政治家の方達の中には日本人の国際競争力を高めようと、小さい子供の頃から英語教育を強化するみたいですが、私には木を見て森を見ずの政策に見えます。

最近、学習塾のIGSの調査で、現在の大学生の半数以上が「自分はもうグローバル人材になれない」と諦めているというニュースがありました。若い人の元気のなさや内向き志向の考えは、教育や社会構造にも大きな原因があると思います。

もちろん他の可能性もたくさん考えられますが、現在の日本で起きている多くの問題が複合的な要因で発生しているはずなので、問題の原因を証明することは多分無理だと思います。複雑に絡み合った糸みたいなもので、それを一つ一つ解きほぐすよりは、いっその事新しい糸を用意した方が問題解決の糸口が見えてくるかもしれません。

日本は教育に関して間違いを犯していると思います。戦後、多数のための協調性を重視した教育をしてきましたが、そのせいで型に収まらない少数が切り捨てられてきました。民主主義は多数の考えを優先しますが、社会は多数の人達だけでは成り立たない側面があります。平和な時代には少数を犠牲にしても臭いものに蓋で成り立つかもしれませんが、社会が混乱期になると問題が浮き彫りになるような気がします。少数派の人間だって社会全体に対して案外重要な役割をすることがあるものです。

それと、明治時代に西洋文化を持ち上げすぎたとも感じます。当時は西洋の考え方が日本を守るためにも必要だったことはわかりますが、考え方の根本に多くの問題がはらんでいるのを無視してはいけなかったと思います。

政治や国が子供に対して何を学ぶべきかあまり強制するべきではありません。本人が生きていくのに英語が必要だと思えば、勝手に勉強を始めるでしょう。それが学びだと思います。それよりも生き方の選択肢を子供にたくさん与えることの方が重要なんじゃないでしょうか。

後、子供が精神的な強さを身につける必要がありますが、大人自身が保身や安定ばっかり考えているんですから、その子供が安定志向になっても当然のことです。子供は大人の背中を見て育つんですから、自分のできないことをやらせようとするのは都合が良過ぎるというものです。

心を鍛えるためと、格闘技やスポーツを無理やり学ばせることが正しいとも思いません。私の子供の頃を思い返しても、スポーツや習い事をいろいろやっていましたが、そのおかげで心が強くなったと感じたことはありません。それどころか、逆に心を閉ざしたりする一つの要因になったような気もします。

後、今の社会構造で何百年もやっていけると本気で思っている人はどれだけいるんでしょうか。戦後たった70年程度しか経っていないのに、すでにいろいろガタがきているように見えるのは私の気のせいでしょうか。今の繁栄が将来の借金になって重く圧し掛かってくる気がして仕方がありません。若い人はそれを肌で感じているから元気がないのではないでしょうか?私が言っている借金とは、金銭的なことだけではなく総合的な意味で言っています。

オーストラリアの子供達は過去日本語を学んでいた

ちなみに、昔のオーストラリアでは子供に日本語を学校で教えていました。ですから、20代や30代の多くのオージーは日本語の単語をいくつか知っています。でも知っているのは単語だけで、日本語を話せる人はほとんどいません。つまり、多くのオージーにとって子供の頃に学んだ日本語の授業は無駄だったということです。

彼らが子供の頃、日本は経済大国として国際社会で大手を振るっていましたから、日本語を優先して学ぶことを当時のオーストラリアの政治家が決めたのは不思議じゃありません。でも、日本経済のバブルが崩壊し経済力も低下しましたから、彼らが日本語を学ぶ必要性がなくなってしまいました。

さらに、オーストラリアでの日本人に対する見方は、ここ十数年で大きく変わりました。私が滞在し始めた当初は、日本人というだけでちやほやされたものです。しかし、中国の経済的影響力がオーストラリア国内で増して来るにつれて、日本人に対する尊敬や憧れの念も消えていったように感じます。現在では7割以上のオーストラリア人が中国を一番の経済パートナーだと考えているそうです。日本はたったの5%に過ぎません。

はっきり言って彼らはお金が第一の人が多いです。長いこと住んでいたのでなぜ彼らがそう考えるのかもわかりますが、金銭の損得勘定だけで学ぶのは虚しく感じます。

グローバル社会で日本人が国際競争力を持つために

話を戻すと、知識とは本人が心から必要だと思わない限り、中々身に付かないものです。

将来必要になるかどうかわからない知識を時間とお金をかけて子供に教えるよりは、もっと学ぶべき重要なことがあるんじゃないかと思います。ただし、その重要なこととは多分子供によって異なると思います。

相手に打ち勝つために学ぶという考え方は、自分が勝てば一時的に勝利に酔ったり喚起に沸く事もできますが、大局的に見たら大抵碌な結果を生みませんから私は好きではありません。しかし、仮にグローバル社会で日本人が国際競争力を持つためには、多くの幅広い勉強が必要になると考えます。技術力や英語力も大事なことには変わりありませんが、他にもいろいろな能力が必要になるでしょう。

心の成長や強さはグローバル社会で競争していくためには絶対必要ですが、学校でそれを学ぶのはお門違いというものです。知識や能力のいくつかは自分で本当に必要だと思わない限り身に付かない物もあるでしょうし、特に心の成長や強さは自分で答えを見つけないと意味がないです。

プロのスポーツ選手は小さな子供の頃から厳しい訓練を受けて強い精神力を身につけていますが、彼らを参考にしてはいけないと思います。彼らは元々才能があった上で競争に打ち勝てる程の強い精神力を持っているんですから、一般人が真似しても無謀だと思います。それに、スポーツは一握りの勝者のために多くの敗者を生むことで成り立つ世界であることを忘れてはいけません。

まとめ

本記事ではネット、テレビ、書籍での学びの違いを比較してみました。私が理想的な「学び」としているのは、知識を得ると共に心も成長していくことです。そのためには書籍を読むのが一番だと思います。

最近の知識偏重の傾向はネットの影響が大きいと考えています。たまに、知識は豊富でも物事を単純化してステレオタイプ的に判断する人も見かけます。大手掲示板やツイッターなどでの短文コミュニケーションの過剰な氾濫が、それに拍車をかけているようにも見えます。

ネット、テレビ、書籍とそれぞれ学びの一長一短があるわけですが、できるだけ多くの媒体からバランスよく学んだ方が良いでしょう。私が書籍を読むことを特に勧めているのは、本を読む人が比較的少ないと思うからです。どの媒体も学びに重要なことに変わりはありません。

おわり

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